長岡亮介のよもやま話31「マジョリティーの暴走」

 少数派、多数派でない少数派、メジャーでないマイナーな側、よくマイノリティっていうふうに言いますが、メジャーとマイナーどちらが大切か。基本的にはやはり言葉通り、メジャーがまずは基本で、その他にマイナーがある。マイナーにはマイナーの良さがあるということですね。英語のMajor,Minorにはいろんな意味があって、多数少数という意味の他に、例えば音楽というところの長調・短調というのがありますね。長調が素晴らしくて短調がくだらないと言ったら、その人が音楽を全く知らない人ということになりますね。長調も短調もとても大切であるわけです。どちらが好きか、趣味の問題はあると思いますが、その趣味というふうに一言でくくられる内容も、実は非常に教養深い人の趣味と全く教養のない人の趣味では、同じ趣味っていう言葉でくくることが本当はできないはずだというふうに思います。そういう意味で、単なる趣味の問題を超えてメジャーとマイナーが人間文化全体にどういう意味を持つのか、ということを考えることは常に大切だと思うんですけれど。

 私が、ちょっと付け加えたいなっていうふうに思ったのは、もし「マジョリティーの考え方が、常にマイノリティの考え方に対して重要である」ということであれば、多数決を取れば全てのことは決まるわけでありまして、今の日本の政治がそのように行われているように投票率は極めて低いながら、その投票で過半数を占める人の意見が、言ってみれば国民生活にとって最も大切なことを、最終的に決めてしまっているわけですね。

 少数の意見を聞いて、その少数の意見の中に含まれている深い真実、それを発見するための努力をすることなく、多数派を占める側が多数派のロジックでもって、少数派の人々は何を考えているのかわからない、というふうに言って切り捨てていく。「民主主義というのは、最終的に多数決なんだから、それでいいじゃないか」という素朴な議論がありますが、実はそのような「多数派を取れば、つまり過半数で決めれば、それで公平だ」ということに関する不正はあるいは不正義は、もうギリシャ時代から指摘されていたことでありまして、民主主義というのは、その民主主義を運営する側に深い叡智が備わっていなければいけない。

 それはどういうことかというと、多数が持つ意見が聡明な結論に導くとは限らないので、少数の意見に耳を傾け、その少数派の中から汲み取るべき意見をくみ取る。そういう話し合いが非常に重要であるということですね。話し合いというのは自分の言うことを相手に説得すること。英語で言うところのディベートというのではなくて、相手のことをわかる、理解する、相手のことを深く理解する。そして、自分のことを相手に深く理解してもらう。そういう言ってみれば、相互理解による相互の信頼の醸成といいましょうか、そういうものを紡ぎ出していくこと。それが民主主義の基本であると思うわけですね。ですから決してマイノリティの意見を聞けばいいというわけではない。マジョリティーが意見を押し付ければいいというものでももちろんない。

 そこには、マイノリティの人の意見に聞くべきものがあるかどうか、ということに対して常に謙虚であり、またマジョリティーを占める意見に対しては、なぜそれがマジョリティーを占めるのかという、言ってみればマジョリティーの人々の持っている論拠の基本、あるいは基礎あるいは論理的な基盤、それをしっかりと見定める、見極めるということですね。

 今とんでもない大国が政治的にとんでもないことをやっております。それは歴史的にいろいろな問題が絡んでいて、実に難しいということはよくわかるのですが、一つの政治的な決定に対して、それに異を唱える人に対して、政治的な弾圧を合理化するための法律がきめ細かく作られている。法律が作られると国会というところで作られるわけですね。そうであればその法律が全て合法的っていうことになるわけですが、合法であるということが実は正義に反する。法律的に正しいということ以上に、重要な規範があるということ。法律によって人々の意見を弾圧するということに対しては、決して許してはならないという問題が本当はあるはずなのに、そのことに目をつむっていなければならない。

 愛国心という美しい言葉の蔭に、人間として本来誰もがきちっと持っていなければならない倫理感、そういうものが犠牲になっている。我が国もそのような愛国心という美しい言葉によって、国民の中の重要な声がかき消されていったという非常に悲しい、また恥ずかしい歴史があるということを忘れず、他国において今行われているとんでもない言論弾圧に対して、私達は敏感であるべきあるというふうに思います。

 マジョリティーがマイノリティを圧迫するとき、そのときにはしばしばこのような政治的な不正がはびこるというレッスンとして、私達は学ばなければならないのではないか、と私は思います。マイノリティの意見を尊重することが大切だというのではなくて、マイノリティの意見を無視するときにマジョリティーの暴走が始まる。そうすると、とんでもないことが起きるというレッスンだと私は考えています。

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