長岡亮介のよもやま話29「H3ロケット」

 今日は昨日入った悲しいニュースに触発されて、考えたことを皆さんと共有したいと願ってこのメッセージを作ることにいたしました。それは、日本の国産の世界標準の大型ロケットの打ち上げ失敗、ということに関してです。世の中には自然科学に関してあるいは先端技術に関して素朴に信じている人が多いようで、利害関係者でもないのにわざわざ現地まで足を運んでた人も多いようですけれど。そして、その失敗に涙する方もいらしたようですが、もちろん私もその失敗に涙した人間の1人です。

 しかしそれは当事者としてよりは、むしろその業務に責任を持った人々の心の内を察して、私も涙せざるを得なかったということです。元々いわゆる大型ロケットと言われるものの技術は既に「枯れるテクノロジー」というべき技術的にはそれほど新しいものではなかったと思いますが、私は中身は知りませんが、H2Aの輝かしい実績、成功率98%とかなんとか言いますけれども、そのような成功を受けて、しかしコストを国際的な基準並みに抑えるというミッションを抱えて何年も前からスタートし、既に2000億円とかという巨費を投じてきた、そういう大プロジェクトであります。

 技術の世界では、前もお話しましたが、科学と違ってこうすれば必ずこうなる、というような演繹的な議論がときに可能でありません。こういう場合にはたまたまこうなった、というような結果論の言われるものが支配する、そういう実用的な世界であります。そういう点では、今回の失敗はもう失敗してはならないという、非常に強い周囲からの期待感あるいは強迫感あるいは切迫感そういうものの中で、技術者たちが失敗をしてはならないと思いながら頑張った、という結果だと思うんですけれども。私はそこに日本人のある種の脆弱性というのがあったような気がするのです。つまり、優秀なエンジニアがみんなが本当に努力しているならば決して失敗するものではない、という圧迫感ですね。

 しかし残念ながら大プロジェクトになりますと、そこには多くの人が関わるわけで、本当に数えきれないくらいの小さな諸部分の結合体系として1台の大きなロケットっていうのができるわけです。それが分解しても見えないくらい小さい、そういうパーツの世界、Assembliesその集合体であるということです。総責任を持つプロジェクトマネージャーと言われる人でも、そのパーツ一つ一つがどのように設計されたかという詳細にまでは分けることができない。今回は1段目は成功した。これは開発の主たる部分ですから、そういう意味では開発は成功した。そしてカウリングも開いた。カウリングってのは先頭につけるやつですね。空気の濃い大気圏の中を進行していくときにロケット本体を守る非常に重要な装置で、これは意外に難しい技術の結集であるわけです。それも開いた。しかしながら、第2段ロケットに点火しなかった。要するに、話にならない大失敗だったわけですが、ニュースによると、第2段ロケット自身は既に「枯れたテクノロジー」であって、これは失敗することはあり得ないというくらい、安定した技術になっていたわけです。

 ここでキーワードとして皆さんに覚えてほしいことは、「枯れたテクノロジー」という言葉ですね。よく皆さんは宇宙産業が先端的な技術の集合体であると、そういうふうに思われがちなんですが、実は先端分野を切り開くための技術には本当に信頼できる、いわば昔からずっと使ってきたエンジニアが言うところの「枯れたテクノロジー」、これが大事だということを、私は昔々になりますが、NASAが火星に人工探査の自動車を送ったときに、自動車マーズ・パスファインダー(Mars Pathfinder)とかっていう名前だったような気がします。もう古い記憶なのではっきりしません。なんとその中で使われているコンピューターのCPUが8086という、私が生まれて初めて使った頃の本当に言ってみればボロいというか古いというか、単純な、大学院生でも設計できたであろうような、そういうCentral Processing Unit CPUであったわけですね。中央演算装置が8086であった。私がパソコンをパソコンらしく使った最初の頃は80286とか80386でありますから、8086と比べるともう桁違いに繊細になって、速度も上昇しているわけですが、しかしそれも今から考えてみれば本当におもちゃのようなものでした。

 しかし、マーズ・パスファインダーで使われているコンピュータが8086であるというのを、NASAの情報として聞いたときに、本当にびっくりした。「なんでそんな遅いCPU使うんですか」と、私は質問しました。そしたら、理由は簡単で、「火星は非常に宇宙線が強く、地球と比べると特に地上と比べると、大気圏の下の方ですね、ひどい環境である。そういうひどい環境の中ではちょっとした宇宙線を浴びても断線するかもしれない。そういう繊細なCPUは使うことは合理的でない。どうせ通信に8分くらいかかるのであるから8分の間に次の処理に進めばよいという意味で、高速性よりは安定性の方が大事だ。あるいは信頼性の方が大切だ。」という言葉を初めて聞いたんですね。技術においては高速性、先進性よりも安定性あるいは信頼性、それが大事だと。

 こういう話を聞いたときに、最も先端的な分野で、実は「枯れたテクノロジー」が最も信頼されているということ。これがNASAの姿であって、また別の友人から聞いた話では、NASAで使われているコンピューター言語は、なんと当時一番先端的であったC++とかではなくて、Fortranという私が学生時代に使っていた言語とそして当時流行っていたJavaであると。JavaとFortran以外はNASAでは使われていないという話を、やはり別の友人から聞いて、本当にびっくりしました。つまり、いかに信頼性というのを重視しているかということです。

 私は、今回日本のJAXAによる打ち上げ失敗を見て、JAXAっていう組織自身が東京大学宇宙研と科学技術庁の機関、それを行政的に合体させて作ったという、言ってみれば妥協の産物として出発したってということが、元々の尾を引いてるんだと思いますけれども。日本の縦割り社会の行政、それがトップに立って、そしてそれが予算を振り分けて民間企業に仕事を分ける。こういう戦前から続いてきた日本の産業体質というのがいまだに変わっていない、ということに、非常に深い本当に根深いと言っていいと思いますが、原因があるんじゃないかと思いますけれども。

 第2段エンジンに点火の指令が送られなかったかもしれないということ。これどういうことかっていうと、普通は完全にプログラム化されてますから、第1エンジンから第2エンジンに向かって統一的な制御系統、それが働いた当たり前じゃないですか。なんで急に第2エンジンのときにはコンピュータが止まったんですか。ちょっと理解できませんね。私ももちろん理解しているわけではありません。まだ詳細な発表があるわけではありませんから。しかしながらおそらく大型ロケットの打ち上げというものすごい振動ですね。アポロ13の映画にも出てきますけれども、そのすごい激しい振動、その激しい振動に耐えていかなければいけないわけです。コンピュータのハードウェアいうのは非常に頑丈のものではありますけれども、しかし振動とかそういうローテクの部分に対しては脆弱性を持っているということは、これは昔からよく言われていることでした。おそらくそういう言って見れば誰でもできると思われている部分に、設計の甘さが存在したんだと思います。

 設計の甘さとひと口で言うのは簡単ですが、その設計自身が膨大な数のパーツあるいはサブシステムからなっていますから、そのサブシステム全体をきちっと見渡すことができる人間が存在するわけでは必ずしもない。実際にはそのサブシステム全体は書面に書かれた提出書類、その上でパスするという程度の試験しかやっぱりしていないんだと思います。しかも日本の場合、コストを制限するというミッションを抱えていましたから、今まで1000億円とか2000億円というお金を投じながらこれから1機50億円ぐらいであげられるようにしなければいけない、という経済的な圧力というも、エンジニアそしてエンジニアを指示するプロジェクトマネージャーの肩には重くのしかかっていたに違いないと思います。

 ロケットの打ち上げ技術というのは、太平洋戦争後世界各国で競ってやってきたものであって、日本もそれに負けないように頑張ってきた。そして今回はできれば世界標準を上回る性能と価格の宇宙産業ビジネス、これを日本発信として打ち出していきたいという、霞が関の官僚も、そしてそれを担当する技術者も、そしてJAXAも考えていたに違いないわけでありますが、その野心が実はプロジェクト全体を引っ張った夢であるというふうに、美化してしまうのが私達日本人の弱点で、私達はこんなものを夢というふうに言うのではなく、この夢を実現するために「私達が何を準備し、何を覚悟し、いかなるプロセスでその後のこと、責任の取り方も含めて考えてきたか。」ということについて、反省する良い機会ではないかと思います。うまくいった場合のことだけを想定して、おそらく談話なんかも作られてきたんだと思いますが、半日しても辞職の話も含めて徹底的な反省の言葉というのは出てきていない。私の知る限りはそうですね。

 ということは、要するに失敗するということを想定しない実験であった、ということです。ある意味ではそれくらい安定したテクノロジーであった。みんなそう思っていたんだと思います。そこに落とし穴があったということは、結局のところ、福島原発と同じで「想定外のことが起きた」という言い方になってしまうわけです。しかし、科学者エンジニアである以上、想定外のことが起きてしまったということは、言い訳としては全く成立しない。そういうレベルの話だということを、私達はちょっと冷静になって考えなければいけないのではないかなと思います。

 難しい業務を担当した現場の人だけに責任がある、というふうには私は思いません。むしろこのような現場の失敗、それを全体を見ることのできた人々の判断の甘さが現れているんだ、と思うということです。私達は何か新しいことをやると、成功するという、いわば肯定的な結果だけを夢見て、成功した、おめでとうというふうに拍手する。そういうシーンだけを頭に描いてしまう。そういう傾向があるのではないでしょうか? 

 それはそれとして、楽観的な未来に向かって肯定的なのは素敵なことではありますけれど、私達は実学の世界において理論的な世界ではなく、技術的な世界において楽観論に傾くということは極めて危険であるという、技術の歴史に関する教訓を決して忘れてはいけないのではないかと考えます。そして、そのような技術で飯を食う、そういう利益にあずかって仕事をしているという人間は、英雄的な未来を開くヒーローであると同時に、実はその未来が自分の未来とともに吹っ飛ぶ、そういうリスクを背負っているヒロインであるということも、私達は理解してあげる必要があると思いますね。

 少なくとも、ロケット打ち上げ技術というのは、気象衛星はじめ私達の日常生活に密着する重要な応用を担っているわけですけれども、そのような基本技術に関して、日本が国際水準から見てこんなにも遅れてしまっているということは、決して担当者の責任ではなく、実はその宇宙ビジネスを推進している、そして宇宙技術の推進を管理している官公庁の行政の責任であると同時に、宇宙を子供の夢と重ねて見ている、そしてそのような風潮を煽っているジャーナリズム、つまり私達の身の回りにいる人々の責任でもあるということを、この機会にみんなで一緒に自覚したいと思います。そして、1000億円とか2000億円がパーになったというときに、私達がそれに対して自分たちの生活を倹約してそれの予算に投下する、寄附をする、というようなことさえ視野に置かなければならない。このお祭り騒ぎを見て、失敗だったのか、というので終わりにしては、私達自身は何も学べないと私は思うのですが、いかがでしょうか?

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