長岡亮介のよもやま話24「2月24日」

 2月24日という日は、9月11日そして3月11日という、私達現代人にとって忘れることのできない悲劇的な事件の日。人間と人間との間の文化的、あるいは宗教的な対立が政治的な憎悪にまで達し、それによって多くの生命が同時に失われるという悲劇的な一日であり、もう一つの方は私達人類が誇ってきた科学に基づく近代的な文明、その源であるところのエネルギーを生産する原子力発電という、かつては夢の実現の世界と思われていたもの、それが私達の想定外の地球のエネルギーによって破壊的なあるいは破滅的な被害をこうむり、ほとんど取り返しのつかない事態にまで陥ってしまったという、いわば人間的失敗あるいは科学に対する傲慢という人間の愚かさ。そして、科学に対して無知であることを、全くそれに対して警戒心を持たなかった私達国民全体の責任として記録されるべき一日だと思います。

 そして、今日2月24日は、本当に21世紀になったら馬鹿馬鹿しい戦争なんかがなくなり、人々がいろいろな意味で合理的に平和な世界を築いていくことができるに違いない、と思っていた矢先に、私達の近代科学では手に負えないコロナウイルス19、2019年型コロナウイルスSARS-CoV-2っていうふうに言われているものの感染症の拡大によって、我々の持ってる科学的な知識がいかに一面的であるか、また全面的に人間の健康を私達が把握するということには程遠いというレベルにまでしか生命科学が進歩を遂げていない。ということを知ってから数年後のことでありますけども、まさに2月24日のその日にSARS-CoV-2がほぼ克服されたかと人々が思い始めていた矢先に、とんでもない事件が、とんでもなく残酷な事件が起きたわけです。

 そして、多くの専門家の予想を裏切って、ウクライナの人々が、ソビエト社会主義連邦共和国の一番大きな構成員の一つだったロシアに次ぐ構成員だったウクライナ社会主義共和国とかつてはそう名乗っていた国が、ロシアに対して非常に雄々しく戦いを続け、すぐに降参すると思われていた大方の予想を裏切って抵抗運動をし続け、丸一周年を迎えたということです。この残酷な一日から丸一周年を経ることができたという奇跡的な偉業に対して、ウクライナの兵士の皆さんに限りない賛嘆の気持ちを送りたいと思います。

 しかし、実はロシアとウクライナとの問題は、歴史的に考えると、私達が目に見てるほどあるいは耳で聞いているほど、一般に報道されるほど単純ではなくて、元々ドイツの崩壊ベルリンの壁の崩壊に象徴されるドイツの再統合、その折にロシア、ソ連の中枢部分とNATOとの間に結んでいた暗黙の軍事的な境界線についての約束、それがなし崩し的に崩れていく。そういう状況に対してNATOの側からすれば、それは自分たちの勢力が大きくなり、敵を囲む力が大きくなることですから安全保障の増進ということになるんでしょうけど、反対の立場から見ればどんどん敵の軍事同盟圏が増えてくる。北大西洋条約機構というのは軍事同盟でありますから、アメリカを中心とする軍事同盟がロシアの足元にまで押し寄せてくるということに対しては、ロシアの持つ警戒感が私達は想像するのは難しいかもしれないですけど、ちょっと考えてみれば明らかなことであると思います。

 そして、それについての客観的な報道、それは英字新聞などを読めばすぐに手に入ることでありまして、やはりNATOとロシアの軍事的な対立の問題っていうのが背景にあるし、また私自身が思うのは、ウクライナがソ連から独立後、たどってきた様々な政権の歴史、それは言ってみれば腐敗の歴史、腐敗した政権の歴史って言ってもいいくらいだと思いますけど。実際に今度のゼレンスキー政権でも枢要な閣僚がとんでもない汚職に手を染めていたっていうことは、ごく最近になって、我が国の新聞紙上にも出ましたけれども、これはある意味で、国際的な常識でもありまして、実はウクライナの政権と言っても、プーチン政権が汚れているというのとは違った意味で、やはり汚れているところがあるわけであります。それをプーチンのようにナチス呼ばわりするというのは、ウクライナの中に住んでいる親ロシア派勢力に対して、それを弾圧、ウクライナのキエフの政権、最近はキーウというウクライナ語の発音が正しいというような言い方がありますが、そもそもウクライナ語とロシア語ってのはそっくりのわけでありまして、違うところもあるのですが、かなりよく似ていて、私はロシア語は自分で第2外国語として勉強したのでウクライナ語の翻訳の仕事もちょっとやったことがありますけれど、よく似ている。それについてウクライナ語の発音にできるだけ沿うっていうのは、ウクライナの人々と連帯を表すという意味で大切かもしれませんけど、それだったら、やはりウクライナというこ国の歴史をやっぱり知らなければいけない、と思うんですね。

 実はウクライナという国の歴史、かつてはソ連邦でもなかったわけですよね。ソ連邦に組み込まれるわけでありますが、それからウクライナ社会主義連共和国がたどってきた短い歴史、その前に短い歴史の前にウクライナの長い歴史があるわけでありまして。そういうことを全部含めて、ウクライナの歴史っていうことを少し理解するならば、ソ連が、「ウクライナがロシアの領土の一体不可分、一体のものだ」とプーチンが主張するというのにもそれなりの根拠がある。私はそれなりの根拠って言ったときにはもちろん、限定的な根拠にあるということでありますけれども、そこそこの根拠はあると、しかし全面的にそれが正しいわけではないということも断固主張しなければいけないと思いますが。ロシアの人々の言い方にも耳を傾けるべきところが少しはある、ということも忘れてはいけないと思うんですね。プーチンの御戦争は残虐非道であり、決して許されるべきものではないと、私も全面的にそれはそう思いますけれども、プーチンの側にしてみればこれは戦争を仕掛けるよりももう一歩も先に進めることのできないくらいところまで、プーチン自身も追い詰められていた。そういう見方もできなくはないということです。

 そういう難しい問題に対して、最近テレビを見ていると何かしたり顔で、「これからどうなっていくんでしょうね。」と、アナウンサーの人は当然のことながら、「この戦争はいつまで続くんでしょう。どんな形で平和会談が実現するんでしょう。あるいは、核兵器の使用というのはあるんでしょうか?」 こういう単刀直入な素朴な質問をするわけですね。実に庶民が考えてるのはそのような疑問ですから、庶民を代表してアナウンサーがそういう質問を専門家に向ける。専門家たちは、いわばそういう専門的な知識の中で生きているわけですから、簡単な結論が出せないということはわかってるわけですね。そんな一方的に停戦が実現するためのシナリオっていうのは、かつて人類史を1回もない。

 原子爆弾二つ落としただけで、わずか2週間ぐらいで停戦ができるというのは、日本がどこまで疲弊してなかったということの証でしかないわけですね。同じように、ヒトラーのナチス帝国がベルリン陥落後すぐに無条件降伏をするのはそれだけドイツ帝国が疲弊したということの証でしかない。反対に言えばフランスのパルチザンあるいはイギリス大英帝国、どんなに爆撃されても決して降伏はしなかったわけですね。そういうことを世界史の常識を知っているならば、今、ウクライナの軍の勢力の力強さを見ても、ロシア兵の士気の上がらなさを見ても、ロシアが既に兵力がもう不足意味になってきてる、場合によっては兵力だけではなくて武力さえも不足気味になっている。そういう報道すらある中で、簡単な解決があるというはずがないですよね。専門家にそんなこと聞いてどうするんでしょうね。

 私達が専門家に聞きたいのは、「果たしてウクライナの今の戦闘能力がこれから何ヶ月持続するということが最も確からしく考えられるのでしょうか」とか、あるいは「この現状を打開するために、西側の援助は今の援助と比べてどれくらい増強されるべきでしょうか」とか、あるいは「西側がそのような援助を増強したときに、ロシアは果たして軍備をより拡大してくるという可能性は考えなくていいでしょうか?」というような質問であるべきだと思うんですね。「ロシアは核兵器使うでしょうか?」こんな馬鹿げた質問はしても、専門家は「それは戦術核兵器、つまり限定的な核兵器というのはあってもおかしくないですね。」ということくらいしか言いようがない。なぜならば戦術核兵器という小さな規模の核兵器は既に開発されていて、こういう目的のために使うというふうに開発されてるわけです。だからそれを使わない手はないかもしれない。でも、使ったときの代償はロシア側にも大きいわけですから、そんな容易に使うはずがない、という常識も働きますよね。「使う使うといいながら、使うぞと見せて使わない」という形の核戦略が20世紀の核戦略の基本であったということを踏まえれば、いかに戦略核ではなく戦術核であるというふうに言ったところで、それがそんなに簡単にやってくるわけではない。

 じゃあどういう形で平和がやってくるか。トルコが仲介に出てくるでしょう。あるいは中国が仲介役を取って出てくるんではないか。そういうようなシナリオを描くことは簡単ですね。そしてそのようなシナリオが実現する可能性も大いにあると思います。しかし、そのシナリオを実現するために、では私達は何をなすべきなんでしょうか?世界は何をなすべきなんでしょうか。ということを言って、初めて明日のことに対して私達が前向きに考えることができるようになるわけですね。専門家にはそこまでのアドバイスをしてもらいたい。しかし、私が聞く限り専門家が言ってることは、全く天気予報というか天気情報というか、「明日は雨になるか、晴れになるか、ひょっとすると寒くなるかもしれませんが、すごく暑くなる可能性もあります。」そんなようなとり方によってはどのとり方をしても、自分の言ってることが間違ってない。そういう無責任な表現の中に、なんとなくどんよりとした暗い未来を見つめていかなければならない、という気分だけを共有して満足するということでは、私はいけないんじゃないかと思うんです。

 私が今日皆さんにお話したいと思ったのは、今日覚えておかなければならない歴史の1日2.24という記念すべき日に当たって、私達は私達の明るい未来のために、私自身が何ができるかということを毎日真剣に模索する、その真剣に模索するための情報を専門家の人から与えてほしいと思う。そういう気持ちでニュースなどの報道に接していきたい、そういうふうに思うからです。9.11にしろ3.11にしろ、私達は事件が起こってからこれがいけなかった、あれがいけなかったというふうに後になって、人の欠点をいろいろと指摘するということについて、ずいぶんたくさんやってきました。しかし、結局のところ一番大切なのは、そのような不幸な事態を引き起こさないために、「私達は何ができたか、何ができなかったか」という私達自身の反省だということだと思うんです。

 2.24についても私達は同様に、やはり前向きの未来に向けての反省をする1日にしたい。「この不幸を忘れない」という1日ではなく、「このような不幸を繰り返さない」ために、私達に今日できることは何なのか。ということを真剣に皆で考え、皆で祈り、未来を見つめる。そういうきっかけにしていきたいと祈っています。

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