長岡亮介のよもやま話8「理想主義と数学」

 今日はちょっと顔色が違うというか、色合いの違うお話をしたいと思います。それは今日の特に若い人にとっての世界情勢が、私が若い時代と比べると遥かに難しく映っているに違いない、ということです。私が主に生きた20世紀という時代には、二つの世界大戦という大きな不幸がありましたけれども、しかしながら、全体としてはちょっと誤解を招くかもしれませんが、「理想主義」、そういう言葉が世紀全体を覆っていた、そういう時代ではないかと、今なら思います。

 理想主義というのを何と言うかといえば Idealismus(イデアリスムス)、英語だと Idealism(アイデアリズム)ですね。しかし、この Idealism には、観念論という翻訳もありうるわけで、理想主義というのは観念論と訳してもおかしくない言葉であります。何で理想主義が観念論というかというと、理想というものが実は何なのかというふうに突き詰められたときに、私達の頭の中にあるいは心の中に描く理想像というものがあって、それが実在するという考え方だからなんですね。

 理想という観念が実在する。私達はふつう実在するというと、リンゴが存在するとか、机が存在するとか、そういう素朴な存在論が、唯物論的な存在論と言っていいと思いますが、それに傾きがちなのですが、そうではなくて、実は理想というもの、そういう観念が本当に世の中を支配する実際的なものだったという考え方、これが多かれ少なかれ、20世紀を支配してきた、あるいは20世紀を広く覆ってきた思想であったと言っていいと思います。理想主義に反するような非人道的な行為がたくさんありましたけれども、そのような非人道的な行為まで含めて理想主義的に裁判されるべきである、というような思想が多くの人の間で共有されてきたと思います。

 皆さんにとってこの時代が大変に困難である、と私が不安に思うのは、皆さんにとっては理想主義の支配する時代が終焉した、ということです。いわば、全世界、地球全体、それで通用するような理想主義というのはない。地域ごとに、あるいは時間ごとに、時代ごとにそれぞれの理想があり、そのお互いに矛盾する理想が、何とか平和共存を求めて意見をすり合わせていく、という非常に厄介な作業が待っているということですね。そういう時代に、皆さんが生きているということ。これは大変なことではないかと思います。

 けれども、そういう大変な中にあって、理想というものを絶対的に語ることのできるような分野が一つある。それは科学の世界、サイエンスの世界です。サイエンスは広くは学問というふうに訳されるべき言葉で、日本では科学それも自然科学というようなニュアンスで使われます。そういう使い方をするならば、科学という言葉をやめて、私としては「数学」という言葉を切り札に使いたいなと考えます。数学というと日本では数(すう)の学というふうに誤訳されていますが、英語では Mathematics。Mathematics の語源をたどると「勉強しなければならないもの」というような意味なんですね。数学は決して数(すう)の学問ではない。人間にとって本当に学ばなければいけないもの、それが数学であるわけです。

 残念ながら今の学校教育における数学というのは、数(かず)の計算の仕方を覚えるとか、あるいは基本的な数学の問題が解けるようになるとか、そういうようなことに限られてしまっているわけですが、実はそれは皆さんがやがてもっと広く数学を学ぶための、言ってみれば初歩的な基盤であって、その基盤の上に皆さんの数学的な世界が切り拓かれていくはずなんです。そして、その数学的な世界の素晴らしさは、この理想論が全て解体した世の中にあっても、世界共通に語ることのできる理想の世界であるからですね。

 私達は観念論あるいは理想論が全て崩壊してしまったこの不幸な21世紀の時代。それをどうやって生きるか。その指針として、私は広くは科学的精神あるいは数学的精神、それを挙げたいと思います。なぜ「科学的精神」という言葉に私がためらうかというと、いま科学的精神という言葉が非常にいかがわしい意味で使われている。「科学的にものを考えろ」というような人たちの意見を、私なりに分析すると、到底科学とは言えない、独断と偏見を他人に押し付けている、そういうような印象を受けることがしばしばあります。科学は数学と同じように、遥かに謙虚なものでありまして、一つの結論を他人に押し付けるというようなものでは全くない。そういうことが皆さんにわかっていただくために、皆さんに数学を勉強してほしいな、そういうふうに思います。

 今日は理想主義が解体した21世紀という困難な時代において、いかに私達が人類の共通の理想を語ることができるか。そのよって立つ基盤、それが数学にあるんじゃないかという、聞く人が聞けば、ずいぶん私の身勝手な発言というふうに見えるかもしれませんけれど、実は私達が本当に謙虚になるために数学がとても必要なのだという、私の考えを喋らせていただきました。

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