長岡亮介のよもやま話7「持続可能性というものをどのように保障していくか」

 今日は、私達が自分で考えるというふうに思いながら行動しているとき、あるいは生活しているとき、つい陥りがちな周囲からの影響、よくバイアスというカタカナ言葉を使う人もいますけれども、それについて私達があまりにも安心しすぎているのではないか、もっと突っ込んで言うと、そのような周囲から影響されて考えているという自分自身に対して無警戒すぎるのではないか、という問題を取り上げたいと思います。

 ジャーナリズムを賑わせるいろいろなキーワードがありますね。こんにちで言えばカーボンニュートラルな社会とか、持続可能性を担保した発展であるとか、SDGsそういう言葉も流行っていますね。気象の急激な変動と感じられる、その大元のところに Global Warming 地球全体が温暖化している、ということが挙げられるのではないかという声が上がってからずいぶん時間が経っておりますが、この問題については、学者たちの間で決定的な見解を得るには至っていないように私は思っています。むしろこれらは政治的なテーマ、あるいはビジネス上の用語として言われていて、科学的な問題として冷静に判断するという余地がないものになっている、という印象を持ちます。

 炭酸ガスを排出しないということが大事だということに関して言えば、この問題に最初に警鐘を鳴らした人が言っていたのは、重要なのは炭酸ガスが悪いからといって炭酸ガスの排出を全て規制するということはありえないけれども、同じ電気エネルギーを得るために使っている燃料の中で、石炭を使う分をできるだけやめようよ、というような現実的なメッセージでありました。石炭が単位熱量を得るために排出するところの二酸化炭素の量が、他の化石燃料と比べて圧倒的に多いということは、CHEMISTRY、化学の知識を使えば簡単にわかることかもしれません。

 実際、私達が子供の頃、小学校などの学級ストーブで使われていたのは石炭ストーブでありました。やがて石炭ストーブは値段が高いということで、私達は石炭からいわゆる都市ガスを抜いた燃え殻であるところのコークス、これを使って冬の教室の暖房をとっていたものでした。今、そういうような燃料を燃やすということがクリーンでない、そして電気エネルギーだったらクリーンだということで、やれ電気自動車であるとか、そういったものが従来のガソリンを燃焼させる、あるいは重油を燃焼させる自動車に比べて遥かにエコである、とそういう意見があるのですけれど、では問題の電気はどこから得るんですか。電気を蓄電する設備は一体どういうふうにしたらいいんですか。

 皆さんの中には、電気は1回発電するとその発電した電気は全部いつも溜まっている、そういうふうにお考えではないかと思うんです。が、いわゆる交流電源というのは発電所で発電し、そして消費地でそれを消費する。その間に時間的な差があるわけではないんですね。瞬間的に発電したものが瞬間的に消費される。そういうふうになっている。で、消費されない電力は無駄に空費される。それをできるだけ効率よくやろうよと、所々に蓄電所を設けて送電システムをできるだけインテリジェントに設計しようという構想も出ておりますけれども、基本的には電気は直流電流以外は蓄電も容易でないわけです。で、当然のことながら交流で発電したものを直流に変換することによるエネルギーロスもあるわけですね。

 しかし、そういう直流電流を作ったらいいじゃないですか。そして蓄電も容易にいいできるようにすればいいじゃないですか。という根底的な意見もあるかもしれませんが、そういう根底的な意見を冷静に科学的に分析するということなくしては、例えば今のカーボンニュートラルな社会とか、持続可能な発展の社会とか、そういうキャッチフレーズだけで終わってしまうのではないかというのが私の懸念です。

 そのような冷静な議論を展開するためには、人々の間に何よりも必要なのは、広く物事を見るということですね。例えば、自動車のエンジン1個取ってみてもガソリン車がいいのか、ディーゼル車がいいのか、電気自動車がいいのか、環境に優しいのはどれか。こういうような問題を択一式問題として出すとすれば、むしろ問題が悪いんですね。その問題に正解はない。少なくともその問題に正解を出すための十分な条件が与えられていない、ということに私達は目を向けないといけないということです。

 性能の高い電池を開発するために何が必要であるかということ。従来は所詮パソコンとかそういうもののバッテリーでありましたから、たかが知れていた数であったと思いますが、これが自動車用あるいは工業用となりますと、遥かにスケールの大きな蓄電池が必要になるわけですね。そしてそのためにクリアしなければならない問題は何なのか、ということについて考えなければならないのではないか、と思います。

 持続可能な発展の社会、それは私達にとってまさに目指すべき理想でありますが、その持続可能性というものをどのように保障していくか、ということについて我々が冷静な議論を展開しなければいけない。キャッチフレーズを書いて、この電車の車両はSDGs車両ですというような広告キャンペーンを打つというのは、広告宣伝会社にとっては大きな利益の元になるかもしれませんけれども、問題の解決にも全くなっていない、ということに私たちは時々冷静になって見る必要があるのではないでしょうか。

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