長岡亮介のよもやま話6「青春時代の挑戦」

 今日はまだちょっと違うお話をしたいと思います。それは、私達はテレビとか新聞等報道で人類の偉業とも言うべき素晴らしいパフォーマンスを知り、すごいなというふうに感激します。自分もこんなことできたらいいのになと思いますけど、私達はともすると、できっこないというふうに最初から決めてかかる傾向がありますよね。確かに普通にはできっこないようなことを見るからすごいという感動がわくわけで、私達が簡単にできることがあれば、そんな感動があるはずがありません。しかしながらちょっと考えてみるとそういう素晴らしいことをやる人でも、最初はきっとできなかったに違いないということです。

 言い換えれば、繰り返し繰り返し練習をしてようやくできるようになった。いってみればその到達地点を私達は見ているわけで、その到達地点だけを見ると、こんな遠くまで行けるはずがない、自分にはできるはずがないと思って、その到達地点の素晴らしさを、私達は褒め称えるですけど、本当は私達がちょっとでもそれに似たことを努力していれば、その到達点がさらにいかに偉大なものであるか、より深く感動できるのではないかと思うんですね。私達は小さな山に登ったことがあるからこそ、本格的な登山をする人がどれほどすごいことをしているのかということがわかる。私達がちょっとテニスのようなことをやってみるから、ウィンブルドンに出てる人たちがいかにすごいかがわかる。私なんかはちょっとゴルフもどきをしますから、チャンピオンシップに出てる人たちのプレーを見ると、本当にすごいと思うんやっぱりちょっとやってみると、そのすごさがわかります。

 皆さんの中に、数学について訳わからんというふうに感想を述べる方がいらっしゃるんですが、本当はできたら一度でも数学をやってみてくださいと、私なんかは言いたいんですね。多くの人が数学なんかというふうに、自分と無縁のものとして数学を語ってしまうのは、学校における皆さんの数学体験といいましょうか、それがあまりにも貧困だったからで、本当にちょっとでも本格的な数学と格闘してみたらいいのにと思うんです。本格的な数学といったからといって決して現代数学の高尚な世界、それに入門してみましょうというふうに言うつもりはありません。小学校のレベルでも中学校のレベルでもいいんです。ちょっと真剣に勉強してみるということですね。そういう経験があるときっと皆さんも数学なんてっていうふうにおっしゃらないと思うんです。

 同じことは芸術にも言えて、絵画とか音楽とか彫刻とか書道とか、私達の身近にいろいろな芸術がありますね。そのような芸術の中で少しでもその経験があると、芸術家と言われる人々がやっていることがいかに偉大なことであるか、あるいは偉大というふうに言われている人の中につまらないものはいくらでも存在するか、というようなことが見えてくるんじゃないかと思うんです。自分なりにちょっとやってみる、というその最初の一歩、それはある意味であれもこれもやるっていうことになると、結局何も手につかないっていうことになってしまうので、今はやることを絞ることが大切で、与えられた時間の中で何でもかんでもできるわけじゃないから早く専門を絞りましょうという動きが活発ですけれども、私は若い人にはできたら、そのできるだけ多くの事柄に挑戦してもらいたい。そしてその様々な人為的な営為の中にどれほど多くの工夫や創意が盛り込まれてきたか、そういう歴史を肌にしみて感じることができると、自分の人生の中でそういう本格的なものに出会ったときに、より深い感動が得られるんじゃないかと思うんです。

 経験したことのないことについては、やはりすごく表面的にしか理解できない。ちょっとでも経験を積んでいるとそのことがより深くわかる、ということがもし私の言っていることが本当であったりすれば、そういうものを何も知らないで貴重な青春時代を過ごしてしまうというのは勿体ないですよね。芸術にせよ文芸にせよ、スポーツせよ、学問にせよ、やはりどの世界にもその特有の難しさと面白さが潜んでいる。そのことに心を留めて、もし機会があるならばできるだけそのチャンスを見逃さない、そういう決意で日々過ごすことが大切ではないかと思っています。

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